Bachacha

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日航墜落機123便の部品を相模湾から引き上げたという報道が一切ないのは何を意味するのか

 

tenku123.hateblo.jp

news.tv-asahi.co.jp

www.hokkaido-np.co.jp

 

御巣鷹の尾根、登山道開通 日航ジャンボ機墜落事故

北海道新聞04/29 18:33

 

この相模湾で発見された残骸は、123便の物なのか?

それを回収したかどうか、調査がなされたのかどうか、テレ朝のその後の報道は行われたのだろうか。

この部品の件に限らず、123便の墜落原因について、クソメディアは事後の調査報道に熱心ではない。

だが、日航123便墜落の新事実 :青山 透子|河出書房新社 の記事では幾つかの事実が次の様に指摘されている。

操縦不能になった123便が、公式発表とは異なる高度の低空位置で発表と同じ時刻に飛行し、その後ろをF4戦闘機2機が追尾していたと証言する証言者が大勢いる。

大人の女性や陸自の偵察部隊員、墜落現場の上野村にある小学校の生徒たちは、その中にいた。

この小学生たちは、別に赤い飛行機が飛んでいたという言葉をも残している。

そして墜落直後から、複数のヘリコプターが、サーチライトを当てながら音を立てて墜落現場山頂付近を飛び回り、上野村の複数の村民から上野村に墜落したとNHKなどへ連絡していたと証言していた。

1985,08,12  18:56 群馬県上野村御巣鷹山尾根に墜落

ある出版社の女性記者がUS軍広報へ取材した結果が、次の事実だ。

19:10 US空軍横田基地所属のC130輸送機から航空自衛隊に「埼玉県秩父市西北30Km山中で航空機らしきものが炎上中」と連絡。

21:00 US陸軍キャンプ座間・座間基地からの救難ヘリコプターUH-1が現場に到着、日航機の延焼を視認した。

しかし生存者の証言でもあった様に、墜落直後に多数のヘリが現場上空で旋回していたが、或いはUS海兵隊?のヘリは帰還命令で撤退し、結局、大規模の救助隊が入ったのは翌日で、生存者4名を発見救助したのは、墜落現場である上野村消防団だ。

更に、次の三つの事実があった。

US陸軍UH-1ヘリコプターは、日本側の要請ではなくUS軍独自に決定し、医師1人を乗せてキャンプ座間から1機が発進し、4機が待機した。

海軍は、救難準備をしていなかった。

日本からは、123便がUS空軍横田基地緊急着陸出来るよう依頼していたが、日航機が横田基地周辺で低空飛行するのを住民が目撃されながら、123便が横田基地との間で交信があった記録は、事故調報告書に載ってはいない。

123便の後部部品の数々が相模湾に残されたり、熱量が低いジェット燃料では炭化しないはずの遺体が、ガソリン、タールで高温焼却したのではないかと疑念を持たざるを得ない程、或いは法医学者がこの燃焼に検証が必要だと考える程に焼け焦げているのに反して、その周囲の木は炭化していないなど、123便にまつわる疑問疑惑は数に限りがないままのだ。

 

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