Bachacha

音楽、伝統文化、経済社会などに関心あり

フィデューシャリー・デューティーFiduciary dutyはどこまで顧客消費者を守るのか


フィデューシャリー・デューティーFiduciary duty?

信託業務には、顧客への忠実義務、誠意ある業務遂行は、言うまでも無く当然に課せられた責任だ。

高齢の顧客であれば、この商品を充分に理解できない恐れがあるという懸念を払うだけの責任履行を、銀行側はどの様な方法で行っているのだろうか。

そして消費者は、この問題に備えて「成年後見制度」などの法的対策を予め備えなければいけないが、現実には、この制度で充分に高齢の消費者を保護する場合に、数多くの困難な問題があるようだ。

カネを持つ全ての者、とりわけカタカナ語や英語に不得手な高齢者は、常に処しやすい被捕食者として狙われる。

フィデューシャリー・デューティーFiduciary dutyと言われて、それを理解できる高齢者がどれだけいるだろうか。

ここに、単にゼニを持つだけでは必ずしも十分に身を守られないという、いや、むしろゼニを持つだけに、悲しくも厳しい現実がある。

自称カネ持ちは、今のうちに「平家物語」でも読み返して、数々の悪行を思い起こし我が身の程を知り、今日からでも善行を積み重ねるのが、唯一、極楽浄土へ行ける道であるはずだ(笑)。

 祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらわす
 おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 

 

世界の現実は、資本主義社会だ。

99%層は、資本主義社会とは「カネを支配する人間だけが人間である」という、余りにも原則的で単純な経済原則が公然として働く世界であることを忘れてはいないか。

残念な事に、それへの警戒心を失えば、いとも簡単に捕食されるのが家畜という存在なのだ。

更に言えば、「カネを所有する」と「カネを支配する」とは全く違う。

「カネを所有する」者は、「カネを支配する」者に支配されているに過ぎない。

100万持とうと、1億持とうと、100億持とうと、租税制度や金融制度、政治や司法など社会制度全体の基礎的部分に対して強い影響力を持つ1%層、その中でも更に上位にある0,1%層にない限り、その人間の存在は、0,1%層にとってはタダの家畜、畑、或いは奴隷としての存在でしかない。

これは洗脳済みの日本人がなかなか認めたがらない概念だが、世界は紛れもなく、「階級社会」である。

そこが、単に「カネを所有する」と、「カネを支配する」との違いだ。

チンドン屋の様に上から下までブランド品で身を固め、巨大地震液状化で傾くであろう湾岸沿いのタワーマンションに暮らし、担保力がないのを公然とした仮想通貨で一儲けを目論む程度では、とても「カネを支配する」とは言えないのである。