Bachacha

音楽、伝統文化、経済社会などに関心あり

「すし」ではなく「たこやき」と「たいやき」で日本を知ってもらおうとするロシアの若者たちがいる


私の亡父は、WW2の敗戦を迎えるまで中国にいた。

敗戦直後からソ連軍の侵攻でその捕虜となり、数年間はシベリアの収容所にいて、中国語とロシア語には通じていた。

亡父は生前、「ロシア人も中国人も、農民出身者がほとんどで、個人としては素朴で付き合いやすい」「敗戦後も、戦争中の世話や親切には略奪や暴行ではなく親切で返ってきた」と話していた。

確かに、亡母も生前は「敗戦直後の混乱期に、中国人に色々と世話になった」と話していた。

99%層は、なによりも平和な生活を望む。

だがしかし、そうさせないのが、1%層というものなのだ。