Bachacha

音楽、伝統文化、経済社会などに関心あり

政府自治体の後援制度は廃止するべきだ

dd.hokkaido-np.co.jp

ここで上田前市長が「後援制度をやめるべき」としたが、それは大正解だ。

自治体や政府など公的機関が、自由な立場で活動するべき市民活動へ様々な支援金を交付するのは、公的機関からの政治的思想的影響力を導き入れる結果をもたらす以上、本来、在ってはいけない事だ。

そしてその一方では、衰退する日本伝統文化を守り育てようとして全国各地で地道にそれを育んでこられた方々への、適度な所得補償や経費資金援助には充分に対応していると聞くことがない。

政治の世界が、思想的にも経済権益でも利害相克し合う本来の性格を内包する限り、自治体と政府が自体に求める中立性とは、クソメディアに対してそれを求めるのと同じく、一切、保証がない単なる戯言に過ぎない。

内閣や市長選挙での当選という結果から見ても、利権や思想の争いの中で、開票直後から常に公職選挙法違反の逮捕者が出てくるという疑惑に塗れた選挙結果の反映であるのだから、行政に中立の完全性を求めるのは無理である事が社会経験上、明らかになっている。

カネが無ければ何も出来ないが、鄧小平が「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ」と言うのも、そこに、この世はカネが全てだと意味付けしてしまうと、最後にはその市民団体は、そのカネを出した者の言いなりになるだけで、目的達成への筋道が歪められ縮小されてしまうのは火を見るよりも明らかである。

そうならないために市民運動体は、どんなに苦しくとも自立的な資金を得て、本来の目的を遂げようとイバラの道を歩くのが宿命なのだ。

そうなれば、資金豊富な活動体だけが、詐欺的団体であろうとなかろうと、ますます支援金と市民の賛同を得る方向へ流れるのも当然に予想できるのだが、それとは知識と知恵、情報の拡散をもって地道に闘う以外に、真っ当な市民運動の発展はないだろう。

政府自治体の後援制度は様々な利害が梱包されている故、人間的自己肯定を根底にして、それぞれの仕組みにおいて自己保身的で政治的という、市民活動への選別差別化による「国家管理」へ導くための、公然化されながらも隠然たる「誘導路」の役割を演じる仕組みであるのは明白だと断じたい。