Bachacha

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多くの護憲派が好む憲法朗読会がまるで空念仏に見えるのは何故か

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「自由と平和」を尊ぶ理念は、1%層からの支配にあえぐ99%層にとって、切実であり且つ捨ててなならない、人として基本的な在り方だ。

だが現行憲法が、「自由と平和」という理念を99%層が充分に享受できるに相応しい憲法であるかどうかの議論は、法曹界や政財界などを除いて、今まで真っ当に一般の国民市民の間で行われて来てはいない。

それこそ、敗戦国として戦勝連合国(それは現在のUN国連という本質そのものなのだが)主導の下で三猿の如く沈黙を守る以外、現行憲法が発布施行される時代で敗戦意識が蔓延していた多くの日本人の生きる道が無かったと言う証左ではないのか。

また「9条」が日本の平和を支えて来たという主張も、社会的力学から現実を振り返ってみれば、それは大きな幻想だ。

WW2敗戦以後の歴代内閣が、戦後の経済を効率的に立て直すために、時には9条の存在とそれを支持する有権者票とを盾に利用して、USからの積極的軍事力増強の要求を断りつつ、99%層から徴収した税金と民間資金、そして労働力を、先ずは軍需産業よりも先行して民間工業生産と商業、農業、貿易振興経済政策などの民需に対し投資と投入を継続することで、国民全般の名目所得を押し上げて政権支持層を強化安定させた。

そして、その隠れた効果として徴税額を高めつつ国家予算から徐々に軍需産業への投資を増加させ、それに併せて自民党政権の支配力を安定化させて来たという国家的政治経済戦略の反射効果が「平和という休戦状態」を生み、そこからは特に「左翼の骨抜き」と「国民全般の思考停止」の二つの国内的効果が社会的底流となって、戦後日本の針路に絶大な影響力を与えたのだった。

そして同時に、毛沢東共産党時代から中国を国際市場として形成するために支援育成して来た経済多極派のUS国際資本にとっても、中国経済が現在の様に拡大強化されるのを待たずに日本の軍事力が過大に強化するのは、中国共産党中国経済を育成支配する上での障害となるのは明らかだったから、国際資本を形成する1%層の多くは、欧米国際資本から完全に独立して、経済的且つ軍事的利害関係が複雑化する結果となる日本の急激な軍備力の強化や憲法改定を望みはしなかった。

振り返ってみるに、私の思春期は、日本が間接的に参戦したと歴史的評価するべきベトナム戦争が、日本社会に止まらず世界中の若者の心と生き方、仕事の選択や生活の在り方そのものに深く影響力を与えた時期であった。

US軍がグアム、沖縄、岩国、佐世保、横田、横須賀、あるいは三沢など、日本中の軍施設の全てを24時間稼働させ、志願制度を排して徴兵された兵隊たちが次から次へとベトナムへ送り込まれ、ベトナム兵や一般市民と共に99%層同士が殺し合い、死体となって母国へ還る兵士たちは、棺桶で満杯の輸送機で中継地となる日本の空軍基地へ立ち寄った後、静かな暗闇の中で家族の元へ飛び立って行った。

日本の若者にもまた、様々な動機や流れの中でベトナムへ行って亡くなった者もいる。

この日本でも日米の「軍産複合体」は、石鹸や自動車エンジンなど市民生活の必需品を製造販売しながら軍需産業の一翼を担い、市民に向けてのTVコマーシャルでの楽しく明るい顔とは裏腹に、99%層の多くの流血の下で莫大な軍事上の需要を得て、最後にはUS軍ベトナム敗退の場面を迎える中では、国家でもなく軍でもない「真の勝利者」になった事を忘れるわけにはいかない。

写真→ベトナム戦争 - Bing images

wikipediaベトナム戦争 - Wikipedia

9条護憲派と既成労働組合の多くは、こうした現代資本主義社会での歴史の底流にある国際資本の存在と悪魔の行為、そして、日本人が負うべきベトナム戦争への加担若しくは黙認の責任を考え議論する事については、なぜか常に曖昧化して回避して来た。

それが、お勉強会なのか魂入れなのか知らないが、こうした憲法朗読という空念仏とでも見える行事には、私が何時も変わらず落胆する所なのだ。