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国際資本の巨大な影響力を見過ごして歴史とグローバル経済を語るか

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日本の源を古典文化の神話に置くか。

日本には民話という素晴らしい古典文化がある。

古代の政治力で創られたと解釈するべき神話を民話の範疇に入れても好いのかどうかは分からないが、歴史的に国家権力が作り出す霞が関文化(笑)とは全く軌道が異なるのが、今昔物語、宇治拾遺物語御伽草子等々の民話。

それを尊重することなく、ことさらに神話を日本歴史の起点に置くなら、神話に感じられる押しつけがましさ、不自然さ、そして歴史や文化を神話へ矮小化して神話を創作した当時の政治的思惑そのままに、再び政治的にそれを利用する意図があると受け止めるのには、何も戸惑う所はない。

世界の近現代の歴史形成では、常に資本の力が最大の要であり、資本家は戦略的な脚本家だった。

1%層の資本家と一体のカネが、相対的に人命よりも優位に扱われる現実を前にして、資本主義経済の歴史の要は、資本、国際資本、1%層だと指摘せずにおいて、日本の出自を神話に求め、次いで神話なしに「グローバルな活躍はできない」と説き、国家権力が好む神話を歴史の下敷きにして「日本の歴史」を説いたとしても、それは全く見当違いな結論を導く。

多くの日本人が、世界で殺戮をもって侵略を重ねて来た国際資本の歴史を見過ごす故、グローバル経済の本質たる欧米国際資本の存在と、彼らの世界戦略の現実への視点を欠く事態に陥り、ここでグローバル経済と日本との強い殖民地性の現実を語るのが必須とあれば、合理的に経済思索を重ねるべきにも関わらず、グローバル経済推進のために神話を置くのは全く的外れとしか言いようがない。

そもそも、グローバル経済を推進する大本が国際資本なのであるからして、彼らの思惑通りにグローバル経済を推進すると言う意味が、実は欧米国際資本の支配下に日本経済、日本人が置かれ、彼らの家畜として働くだけの殖民地国家の道を歩むと言う意味であることを、ここでしっかりと確認しておきたい。